どうも、のちゃんりです。
できるだけ人に会わずに出来る仕事として新聞配達を選びました。
20歳の時に違う歯医者に行って前歯は、ちゃんとした感じにはなったんですけど、全体的に歯がボロボロなんでずっとコンプレックスになっていて自信をなくしてたんで人間関係も上手くいかず消極的になっていました。新聞配達と言っても人に会わないように朝刊しかしてなかったんですけど。
一応、22歳から2年半くらい続いたんですが、それまでに2回バックレてて3回目の配達所でやっと上手くいきました。2回バックレた理由は配達所の雰囲気ですかね笑
自分の配達する所をちゃんと配ってれば誰にも干渉されずに朝の出勤の時の挨拶くらいで配り終わったらささっと帰れるから続けられました。
ちなみに給料は80000円くらいでした。
それ以前の仕事は、18の時に初めてやった解体作業が3ヶ月と倉庫での仕分け作業が6ヶ月、後はあまり覚えていないけど1日行ってすぐ辞めるを結構繰り返してました。
雨さえ降らなかったら結構快適にできました。
配りミスがないように注意するだけですかね。
僕は、強迫性障害みたいなのが入ってるせいかミスしないために1件1件家の名前を言いながら配ってました。
それでも、めったにないけど配りそこねていて注意されることがありましたけど。
このまま続けてても人生変わらないって思っていて辞める半年前くらいに農業をしながら自立支援を目指す団体を見つけて、でも行動できずにずるずると時間がたって、そこの施設は5月から始まるのでそれまでに連絡しなければいけなかったんで先に新聞配達を辞めて追い込んで1ヶ月前くらいに震えながら電話をしたんですけど当時そこの施設は月5万で7ヶ月最低35万必要だったんですが、そのときの全財産が25万くらいで足りない事を言ったらお金を貯めてから来なさいってことになってそこに行くには来年になるのかって、配達辞めてしまってどうしようってなっていたら数日後電話が掛かってきてとりあえず今あるお金で来ていいって事になって三重県の方に面接に行くことになりました。
新聞配達以外にほとんど外出してなかったんで電車の乗り方もいまいち分からなかったんで兄についてきてもらい面接に行きました。
面接は今の自分の状態と施設はこういう所って感じの事を話しました。
施設はだいぶ北の方になるんですが3日後に出発となって急いで必要なものをボストンバッグに詰め込んで用意しました。
父親には、全く話さずに母と兄には話してたんですが行く前日までそこまでして行く必要があるのかって言われてたんですけど、ここで現状維持を選んでいたら何も変わらないって思って当日三重県にその時は1人で行き、施設の人2人と合流してフェリーと飛行機に乗り施設に到着しました。